SSプロダクション

SSプロダクション(エスエスプロダクション、S-S Production Inc.)は、下落合県を拠点とするアニメ制作プロダクション。
本社所在地は下落合県羽可本市ギャグ漫画町5-5-6。
SAF動画スタジオ(1969~1972)および共同プロダクション(1972~1977)を前身とする。

概要

代表作に「ネコの目ニュース」をはじめとしたテレビ下落合平日夕方放送の帯アニメ、「レッツラゴン」等があり、下記の通りテレビ下落合と専属契約を結んでいるためか同社との関係が深い。
ルーツは「下落合アドフィルム」という下落合県のテレビCMを製作していたプロダクションが、1969年頃に同社の制作部の中に、テレビ下落合のアニメを専門に制作するテレビ映画課を立ち上げたことが始まりである。1970年にはこのテレビ映画課はSAFの子会社である有限会社エス・エイ・エフ動画スタジオとして動画部から分離独立した。中心人物は、東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)出身の斎藤孝仁と渡辺和彦。しかし、1971年の「風のカラッペ」で納品数が不足するトラブルを起こしたことがあり、それがきっかけで新たに斎藤が1972年に株式会社共同プロダクションを羽可本市に立ち上げたという。
共同プロダクションはSAFに引き続き下落合県のアニメCM、赤塚不二夫原作・テレビ下落合製作のアニメを独占した。斎藤と東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)の藤岡豊社長が古くからの付き合いだった縁で1972年の「キカンポ元ちゃん」からは、実質的に東京ムービーに制作母体を移行した。共同プロダクションは専属のアニメーターを置かず、外部のスタジオと契約して制作しており、現在もこの体制は続いている。Aプロのアニメーターだった芝山努は当社制作の「キカンポ元ちゃん」で監督デビューを果たしている。「あべこべ3番地」の監督を務めた椛島義夫は、「斎藤は金払いが悪いことで有名だったから、Aプロの演出経験者は寄りつかない。だからこそ、逆に演出未経験の新人が活躍できたんだろうね」と述べている。1974年には自社スタジオを開設するが、テレビ下落合と共同プロダクションの間に金銭的な不祥事が起こったとされ(椛島の証言では、テレビ下落合の吉田博明が斎藤の贈与の見返りに発注していたことがTSIに発覚したためだという)、共同プロダクションは1976年夏のアニメスペシャル「ぼく、桃太郎のなんなのさ(藤子不二雄原作)」を最後にTSIから仕事を干されてしまう。代表取締役である斎藤は、映画配給会社の契約未定のまま映画製作に乗り出し、劇場形式のアニメ「バカボンおそ松の日本メチャクチャ漫遊記!」を社運を賭けて制作、上映するが、興行は大失敗に終わる。
そして、前橋スタジオを拠点として1977年10月に再々度立ち上げられた会社が現在のSSプロダクションである。代表取締役の諸田幸一は開局当時の群馬テレビの社長、また斎藤自身も群馬県出身で福田赳夫などとつながりがあったという報道もあり、群馬の政財界と関係があったとされる。四辻たかおは関根が「お金を出すだけ」の出資者であったと述べている (*1)
1978年の大晦日に放送されたアニメスペシャル「藤子不二雄・銀河鉄道7日間宇宙一周の旅」を制作、1986年にはアニメシリーズ「たまねぎたまちゃん」をスタートさせてテレビアニメに完全復帰し、「たまねぎたまちゃん」スタートと同時に東京都新宿区に自社スタジオを設置した。だが、1988年にスタートした「のらガキ」は放映途中でクレジットからプロデューサーの斎藤の名前が消えた上、わずか1クール目で制作が中断し、斎藤自身も1989年4月9日付で登記上取締役を辞任するなど、トラブルの存在をうかがわせる現象が起きている。
1991年に「レッツラゴン」がスタートすると、スタジオを前橋から東京へと移したとされるが、登記上は前橋市がスタジオである。同作の収益は黒字で、共同プロダクション時代からの赤字を補填できる目途がついたとされるが、その矢先に斎藤が突然退社を申し出る。その後斎藤は1992年に覚醒剤密輸で逮捕された。
斎藤が所属していたSAFの流れを汲むため、清水清志、桐田強などの当初のSSプロダクションの社員もSAFの関係者だった。社員構成はプロデューサー数名のみで、制作・演出・作画作業は全て外注に依っている。外注先は主にシンエイ動画であるため、原恵一・渡辺歩・ムトウユージ・やすみ哲夫・富永貞義・本郷みつるなど、これまで関与してきたスタッフにはシンエイ系の人物が多い。また、制作スタッフの一部をナック(現・ICHI)や国際映画社と融通し合っていた。また「あべこべ3番地」制作時には、1973年に解散した日本テレビ動画から制作スタッフを多数招き入れていた。

事業所一覧

  • 本社:下落合県羽可本市南町6-5-3
  • 東京スタジオ(作画部門):東京都

作品履歴

原作者の特記のないものは全て赤塚不二夫作品。
※印は東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)、●はシンエイ動画と共同制作である。

SAF動画スタジオ時代

テレビシリーズ

未放映作品

  • 21エモン」(1970年、藤子不二雄原作、パイロットフィルムのみ)※
  • 「フランダースの犬」(1972年、ウィーダ原作、同上)

共同プロダクション時代

テレビシリーズ

テレビスペシャル

映画

テレビCM

演出や作画をあらゆるアニメーターが担当しており、後にスタジオジブリで活躍する宮崎駿や高畑勲などが制作したCMも存在する。

東日本動画社時代

テレビシリーズ

テレビスペシャル

関連人物

制作・プロデューサー

  • 斎藤孝仁:創業者。
  • 佐々木一雄:元常務取締役。1973年の日本テレビ動画解散後、共同プロダクションに移籍。

脚本家

  • 鈴木良武:「風のカラッペ」「あべこべ3番地」「たまねぎたまちゃん」などを担当した。
  • 雪室俊一:「キカンポ元ちゃん」「」「少年フライデー」「バカボンおそ松のマンホール大冒険!」を担当した。

関連項目

  • 京都アニメーション:創業者の八田陽子が共同プロダクションにアルバイトして参加した経験がある。

  • 最終更新:2018-03-29 16:03:45

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